自転車の女性が車と接触し転倒し乳児が死亡したケース(平成28年5月6日)


 女性が乳児をおんぶしながら自転車に乗って道路を横断していたところ、自動車と接触して転倒し、乳児が死亡する、という事故があり、自動車を運転していた女性が過失運転傷害で逮捕された、という記事がありました(NHKニュース)。
 報道によると、現場は横断歩道のない片側一車線の直線道路で、「自転車は渋滞中の車列の間をすり抜けて横断しようとしていて、センターラインを超えたところで乗用車と接触した」ということです。

ネット等を見ていると、このケースで自動車運転者を逮捕するのは酷ではないか、との意見が多く見られます。この点について、私見を述べたいと思います。

1 逮捕の当否

 逮捕は、逃亡や罪証隠滅を疑うに足りる相当な理由がある場合に、72時間を上限として行われるものですが、(妥当かどうかは別として)人身事故で重篤な結果が生じた場合、現行犯逮捕がなされる可能性が高いと言わざるを得ません。

 今回のケースは、自転車を運転していた女性、被疑者のほか、渋滞で並んでいた自動車を含む多くの目撃者がいると思われます。

 本件での犯罪の成否は微妙であり、自転車・自動車それぞれの速度、渋滞車列の車間距離、自動車運転者からの視認状況などによって変わる可能性があります。そうすると、各目撃者から詳細な供述を聞き取る必要があります。

 こういう場合、警察の発想としては、被害者及び各目撃者から詳細な供述が採取され、かつ、これと被疑者の供述がある程度一致するまでは、被疑者と被害者・目撃者の接触を避ける必要がある(警察が詳しい調書を作るまでは被疑者と関係者の接触をさせないようにする必要がある)と判断することになります。つまり、被疑者が被害者・目撃者に働きかける危険を防止する必要性から、逮捕に及ぶものと思われます。

 なお、被疑者の自殺の防止をするために逮捕することは、少なくとも表向きはありませんが、親族間の殺人の場合や、無理心中事件など自殺の動機がある場合などのごく限られたケースで、主たる隠れた意図として自殺の防止があることはあり得ます。しかし、自動車運転過失致死傷の場合、(事故後自殺を仄めかす言動をしたなどの)特段の事情がない限りは自殺防止目的で逮捕することはなく、今回のケースもおそらく自殺防止といった観点ではないでしょう。 

 いずれにしても、警察官は、被害者や目撃者への働きかけの抽象的な危険を根拠として現行犯逮捕に至ったと思われますが、これが妥当かどうかというと、大いに疑問があります。 

 被害者や目撃者に対する威迫の危険性(可能性)が抽象的にあるといっても、通常被害者や目撃者の所在を把握することすら困難であり、また仮に把握できたとして自己に有利な供述をするように威迫することは一般人には相当ハードルが高い行為です。単に証人威迫の抽象的危険があるだけでは足りず、具体的危険がある場合に限って逮捕を認めるべきでしょう。
 近時、最高裁も身体拘束の必要性の判断を以前より厳格に解釈してきており、身柄拘束の厳格化は今後急速に進んでいくものと思われます。

2 身柄の解放のタイミング

 逮捕された場合、48時間以内に検察官に送致され、10日間の勾留がされるかどうか決まります。48時間の逮捕の期間中は、不服申し立てをする術はありません。
 早期釈放に向けて、弁護人としては、勾留をしないように検察官、裁判官と交渉を行うこととなります。仮に勾留がなされた場合、勾留決定に対する不服申立等を行うこととなります。 

 最高裁の傾向からしても、今回のケースは、勾留請求されずに釈放され、あるいは早期に釈放される可能性は十分にありうると考えられます。

3 実名報道について

 裁判で有罪認定されるまでは無罪と推定されるのが刑事訴訟の大原則であり、逮捕された段階では犯罪者になるわけではありません。しかし、実際は逮捕だけで犯罪者であるかのように見られがちです。また、インターネットやSNSの発達により、実名の拡散性・残存性は一昔前と比較にならないほど大きいです。逆に、特に個人情報保護法が施行された平成17年以降、プライバシーや個人情報の重要性は格段に高まっています。このようなことからすると、報道によって実名が明らかにされただけで今後の生活(転職等)に深刻な影響を及ぼすおそれがあります。

 本件は自動車運転上の過失犯であり実名報道の必要性は低いこと、犯罪の成否が微妙であることからすると、匿名で報道すべきであったのではないかと思います。

 実名・匿名の判断は報道機関が独自に行いますが、ネット社会における拡散性・残存性に配慮した謙抑的な運用がなされるべきです。

4 犯罪の成否

 今回のケースで過失があったと言えるためには、被疑者にとって、渋滞中の反対車線の車列の中から自転車が飛び出してくることが予見でき(予見可能性)、さらに回避できた(回避可能性)と言える必要があります。
 また、道路の通行に関しては交通法規によってルール化されており、自動車を運転する者は、他の運転者や歩行者などの第三者が当然交通ルールに従って行動するであろうと信頼することは一定程度認められています。そのような信頼が相当な場合、たとえ抽象的に予見可能と言える場合であっても犯罪は成立しません。これを「信頼の原則」といい、最高裁でも多数採用されています。

  本件で、渋滞の反対車線の車列から自転車が飛び出してくることはないと信頼することが相当かどうかは、具体的な道路の状況、周囲の施設の状況、時間や天候等の具体的事情によって決定されることになります。 

 この点の一般論を述べた文献として、西原春夫『交通事故と信頼の原則』(昭和44年)では以下のように述べられています。

 信頼の原則の適用の有無を論ずる場合、道路などの交通環境が大きく影響する。例えば、高速自動車道路や、国道のように広く、車両の交通の頻繁な幹線道路、歩車道の区別があり、とくにその間がガードレール等により区切られている道路等では、車両の運転者には信頼の原則を適用することが比較的容易である。これに反して、買い物客の混雑した狭い商店街では、信頼の原則はほとんど考えられない。歩車道の区別のない道路についても、幼児が飛び出してくる可能性の大きいところでは、やはり一般的にみてこの原則の適用はない。さらに、車両の交通の頻繁な市街地とそれの稀な田園や山間とでは、市街地や幹線道路沿いでは信頼の原則の適用の余地が比較的大きく、それ以外の地方ではその余地が比較的小さい、という差異が生じる

今回のケースと法的な争点が共通するものとして、私が弁護人を担当したケースですが、自動車専用道路上に座っていた男性に接触した被疑者について、過失の存在が否定され無罪となったものがあります(奈良地裁葛城支部平成28年2月25日判決)。

 本件では、過失があったと言えるのかどうか非常に微妙なケースであり、検察官も慎重に判断するものと思われますが、新聞報道されている事実関係を前提とした場合、上記奈良地裁葛城支部の判決と比較しても、過失の存在を肯定するのは難しいのではないかと思います。


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